風雲現代刺青伝


——日本の風習として、親からもらった体を傷つけることはダメだ、みたいな考え方が少なからずあると思います。そういうことは考えませんでしたか?

多少は考えてました。だから親にはずっと隠しておこうと思ったりして。そのあたりのことは私の小説『幻影』で、美奈が姉にバレてしまった場面のやり取りにちょっと書いています。『刺青師牡丹』で、梨奈が母親にバレてしまった場面もそうですね。


足の裏まで彫られたタトゥー

——かつて、タトゥー・スタジオのような施設は今ほどなかったと思います。当時はどうやって彫師を見つけたんですか?

たしかに今だとインターネットで簡単に見つかりますけど、当時はインターネットもなければ、電話帳でも〝彫師〟なんて載ってませんでした。だから、なかなかわからなかった。で、僕の場合は、道を歩いていたらたまたま「イレズミ道場」という看板を見つけたんです。

その時のイレズミ「刺青」じゃなくて、江戸時代の刑罰を指すのに使われる「入墨」でした。『刺青師牡丹』でもその点は意識的に書いています。彫甲が「うちでは『入墨』といって、『刺青』という字は使わない。刑罰のようなもんだが、読んで字の如しだからうちではこの字を使う」といったようにですね。

——これは当然予期していたことだと思うんですけど、その筋の世界に足を踏み入れることに衝撃や恐怖はありませんでしたか?

いえ、それは最初から覚悟していたので。今ではタトゥーと言われるようになってだいぶ一般化しましたけど、当時は刺青ですからね。お客さんもほとんどが組関係の人でした。30年前はそれが当たり前だったんです。

——かつて小学校の事務員をされていたということですが、元々教育に関心があったのですか?

いえ、そういうことではなくてたまたま学校事務の募集してたから受けてみようかなと。それに学校だったら自分もまぁいいかなぁと思ったんですよ。

——子どもたちや他の先生に気づかれませんでした?

最初の頃は長袖で隠していました。隠せないところにはファンデーションを塗って。子どもに悪影響を与えてはいけないと思っていたので、子どもとはあまり接しないようにしていました。周りの先生は……あれ? ヘンだな、程度には思っていたかもしれません。特に首などは、注意しないとシャツの襟で擦れて、ファンデーションが薄くなっちゃいますから。