アダムの肋骨から、イヴは生まれなかった—。知られざるもうひとつの創世記


[掲載:2014年6月8日]

赤いベルベットに、ゴールドで刻まれた「Bible バイブル MOMO OKABE」。その下には謙虚な佇まいをした「SESSION PRESS」の名—。

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写真家、岡部桃さんの『バイブル』。NYのインディペンデントパブリッシャー〈セッション・プレス〉から今月発刊された、岡部さんにとって3冊目の写真集だ。

ハードカバーの大判写真集にしては、なかの写真は予想を裏切るほど荒削り、よく言えば大胆だ。ページを開ければ、裁ち落としの大きな写真が眼に入ってくる。レンズと被写体のあいだをカラーフィルターが介しているのか、写真は赤、青、橙、黄、緑、紫と、いわゆるレインボーカラーの各色にそれぞれ染まっている。

被写体として映り込むのは、東北大震災の被災跡、ゲイパレード、インドの街並み。そして性転換手術を行なっている人々のヌード、上半身は完全に男性へと成り代わった元女性たちのヌード……。詳細は分からなくとも、「LGBT」をテーマしていることが分かるストレートスナップが続く。

LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの人々を指す頭字語だ。そし岡部さんの写真における虹色のフィルターは、LGBTの社会運動を象徴するレインボーカラーの構成色であることに気づく。

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発行元の〈セッション・プレス〉には、こんなディスクリプションが掲載されている。原文は英語だが、日本語に訳した。

『バイブル』は岡部とその恋人、友人との日々、その揺るぎない複雑さを証明するものである。偽りでない自分自身を遂行することと共に、岡部は明らかにする。

「悲しく、しかし美しい光景。それは、長い長い時の経過と、彼らのトラウマ的な過去との辛い葛藤に打ち勝った時、ようやく理解できるものなのです」—。

岡部作品の誠実さと奥深さは直感的なものだ。つまり、あたかも彼女が万華鏡のようなハートに窓をこしらえたかのように、彼らが共有する疎外感のテンションのうちに、ひとつの美しさをほどくのだ。

 Session Press HPより引用

「偽りでない自分自身を遂行する」とあるように、岡部さんの「恋人」や「友人」は性別の壁を乗り越えて本来の自分自身を手に入れるため、その体にメスを入れた人々なのだろう。そして「悲しく…」以降の下りは、東北大震災の被災地と被災者を、ひいては前述の「恋人」や「友人」の存在も重なっている。「万華鏡」は虹色に染まった写真を指しているのかもしれない。

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ここ日本においては、いまだにゲイやレズ、トランスジェンダーの人々が、いわゆる「オネエ」という〝お笑いジャンル〟で理解されている。商品価値として「需要があるかないか」という物差しでしか測られていないのだ。

話は逸れるが、私はVICE YouTubeチャンネルで『WE ARE OUT!』というシリーズをプロデュースした。これは日本のゲイカップル(英語で〝ゲイ〟はレズも含まれる)の等身大の生活を見せることから、「もうゲイかノンケかを気にするような時代じゃない。あなたの隣にいる人の、心の性別は多様であって然るべきなんだよ」ということを伝えたい—。そんなコンセプトから制作に至ったものだ。

このシリーズは当初の予想を大きく上回るカタチで受け入れてもらえた。それが意味するのは、やはり日本ではまだまだ、彼らの社会的認識は低いということ。

それでも彼らは明るく振る舞う。少なくとも我々が目にする彼らの姿とは、そうしたものだろう。社会に受け居られるイメージとは、いつだって希望に満ちあふれていて、それはビジュアルとしても明るく美しいものでなければならないからだ。

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その点でいえば、岡部さんの写真はその逆を行く。

ディスクリプションにあった「万華鏡」とされる虹色のフィルターはいわゆる「美しさ」とは程遠く、まるで〝色眼鏡〟をかけたように、世の中を偏った視点から見ているように感じられた。だから私には、その色たちが暗く感じ取れた。まるで「メディアがどれだけ誠意を持って〝私たち〟を捉えても、それすらほんの一部に過ぎない」とつぶやくかのように—。

実際、そうなのだろう。本書で時おり挟まれる、性転換手術をした人々のヌードを見たとき、重々に納得させられた。過程こそ女性らしさを残すが、完全に済んだ人の上半身は男性そのもの。しかし股には、女性器が残るのだ。男性にも女性にもなれない、その決定的な壁—。これは、いくら言葉で伝えようともきれい事になってしまうこと。それこそ写真というメディアにできる、揺るぎない事実の暴露。

もしかすると「色眼鏡」は、岡部さんの眼にかけられたものでなく、私たち読み手にかけられたものなのかもしれない。実際、私たちがテレビで彼らを見かけるとき、色眼鏡で見ているのだから。そんな皮肉にも感じられた。

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それでも岡部さんの写真は穏やかだ。性器や手術過程を見せるなど過激な光景はあるものの、感情の波がコップの縁からあふれ出すことはない。極限で留め、あとは社会が揺らすのを待つしかないからだ。自分であふれ出しても、そのあふれ水は冷たい社会にすぐ乾かされてしまうことを、岡部さんはやはり直感的に理解している。その忍耐の日々を、震災の跡に重ね合わせたのだろう。

実にコントラバーシャルなテーマを、繊細かつ奥深い表現力で描いている。それ故に、岡部さんの作品がここ日本で正しく評価されるには、もしかするとまだ時間を要するかもしれない。表紙を包み込む、赤いベルベットの重々しさと気品さは、岡部さんの心の覚悟。

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『バイブル』—。実に挑戦的で、素敵なタイトルじゃないか。いまこの時代を変えることより、ゲイもレズも登場しない聖書そのものを作り直そうという、壮大なスケールが感じ取れる。肉体をいじることは、ともすると創造主への冒涜でもあるかもしれない。しかしその一部始終すら世に露呈させることで、彼らは自らのアイデンティティを歴史に刻もうとしている。

いや、ちがう。彼らは、自分たち独自の創世記と神話の断片を物語ろうとしているのだ。その視点から見るなら、本書で服を脱いだ元女性たちのヌードは〝肋骨からイヴを生み出さなかったアダム〟である。このパラレル神話にイヴは存在しない訳だから、ヘビに惑わされることもない。平穏と静寂の理想世界は、ついに、その世界にこそあるのかもしれない。

写真の世界は昨今ますます窮屈さが増している。「知る人ぞ知る」そんな世界になりつつあると思う。そんななか、狭いパイを取り合うがために、定型とも言えるような、似た写真が乱産されている傾向も感じる。その状況を打破するうえで、岡部さんのような、物事の起源から覆すようなエネルギーと壮大なストーリーは頼もしい。悲しさや絶望を抱えながらも、その先に希望を見出す強い生命力—。そのほとばしる一線の行く末を、これからも期待して追いかけたい。そして彼らが続けていったその先で、真に「美しい光景」に辿りついた岡部さんとその恋人、そして友人たちを祝福できる日を、私はこの目で見てみたいのだ。

 

最後に。奇しくも今年の木村伊兵衛写真賞に、森 栄喜さんの写真集『intimacy』が選ばれた。森さんとその彼氏の日常を続いた本だ。LGBTをテーマにした作品が脚光を浴びたこともあって、これを希望と捉えることはできるだろう。私もできればそう信じたい。しかし敢えてクギを刺すなら、この授賞式の選考委員、写真家は長島有里枝さんが残したコメントが鋭い内容である。これを最後に紹介しよう。

「ジェンダー的な観点から森さんの写真を見る事で、私が一番危惧しているのは、森さんの写真がそのような視点からしか評価されないのではないかということです。どうか広い視野で森さんの写真を皆さんで評価して頂いて、またこれからも活躍をささえて頂ければと思います。

『写真の鉛筆』より引用

岡部桃さんの写真集『バイブル』は〈flotsam books〉にて販売中
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