始まりへの旅


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今年4月、母方の従姉妹がなくなった。上京していた彼女は食欲不振から腸捻転を起こし、ひとり部屋でなくなっていたという。二十代半ば、家族を持たずして旅立っていった三姉妹の三女。葬儀に駆けつけられなかったため初盆に帰省するという母と話し、私もついていくことにした。すると父も一緒に行くという。4年ぶりの会津田島はまたしても家族での訪問となった。

4年前、母方の婆様が施術で入院した。このときは、せっかくだから家族の撮影もしたいと呼びかけたところ、兄も含めた家族4人での訪問となった。2012年3月11日。東日本大震災から丸一年が経った日だった。田島についてテレビをつけると、ちょうど東京の国立劇場で東日本大震災1周年追悼式の行なわれる様子が流れていた。天皇、皇后両陛下の姿があった。

このとき、写真で「隙間」をテーマに撮影していた私は、母の実家で改築を逃れて現存する表2階の床の間を撮影場所にしようと考えていた。メインモデルは母である。裏のおばさんから絣(かすり)の上っ張りともんぺを借りてきてもらい、着てもらった。そしてなにか小道具はないものかと、これまで触れたことのなかった床の間の天袋を開けてみると、中からは大量の巻物(残念ながら大したものではない)と天皇皇后両陛下の写真が出てきた。聞けば昔は飾っていたものだという。巻物のひとつを紐解いてみると、「天照皇大神」と書かれていた。これも昔は床の間に飾っていたものだという。その場のひらめきで、これらを撮影に起用することにした。

幼いころ、夏にやってくると、この表2階で寝泊まりしていたものだが、布団に入って見上げれば先祖の写真と目が合うわけだから、なにかと不気味だった。障子がぴたっと閉じきっていることは稀で、少し開いた隙間がどうしても恐ろしく感じたものだ。その記憶が想起されて、このテーマでの撮影に挑もうというわけだ。かねてよりホラー物が大の苦手なのだが、このときばかりは身震いしながら撮影に取り組んだ。このときの写真が、上の71枚における前半部分だ。平成24年3月11日。冬の南会津は雪深く、空は抜けるように透き通っている。

「隙間」、「天照大御神」、「天皇陛下」。ここから導いたのは神話にある「天岩戸開き」だ。太陽神、アマテラスがある日、機嫌を損ねて岩戸に篭もってしまった。すると世界は闇に包まれた。困った八百万の神々は知恵を振り絞って、アメノウズメに裸のダンスを踊らせ、神々はこれを見て声高らかに笑って見せた。この様子が気になって少し岩戸を開いてみせたアマテラスに、アメノウズメが言う。「あなたより尊い神が現われたのです」。そこに八咫鏡が差し出され、映り込んだ自分の姿を尊い神と信じ込んだアマテラスはもっと身を乗り出す。そのとき、怪力のタヂカラオがむんずとアマテラスの手を引いて、岩戸から引きずり出した。かくして世界は光を取り戻したという。〝日本最古の引き篭もり〟とも呼ばれる話である。この年、皆既日食がおこった。偶然といえば偶然だが、これに岩戸開きを重ねた私は「隙間」シリーズに皆既日食の1枚も加えることにした。

ほんの数ヵ月前、従姉妹の家族には孫を失うという耐えるにも耐えきれないほど辛いことがあったけれど、そんな素振りはひとつも見せず、来客の僕らを迎えてくれた。この地には笑顔が絶えない。人と人はつながっていて、お裾分けをしながら繋がっている。トウモロコシ、アスパラ、トマト、枝豆。たくさんのお土産を頂いてきた。辛いことはみんなで分け合って小さくし、歓びはみんなで大笑いして大きくする。こちらの人たちは「さすけねえ」というあまり聞き慣れない単語をよく発する。「大丈夫だ」という意味の会津弁だ。さすけねえ、さすけねえ。大丈夫だ、気にしなくていい。聞けばなぜか、ほっとする。見えない気遣いがこんなところにもある。

田島に着いた日、親戚のおしんさんがなにやら小判がたくさん成ったような枝をむしっていた。大判草とか銀扇草と呼ばれるそれは「合田草」とか「ルナリア」といって、月のようにまるく白く輝くことからそう名づけられたらしい。3枚の葉が重なっていて、枯れると外側の2枚が落ちる。すると種が表われ、さらに種を取り除くと、白く輝く葉となる。ドライフラワーとしても人気だそうで、もとはフランスから持ち込まれたものらしい。たしかに、プラチナに輝く満月をイメージさせる葉だ。太陽と月の因果を勝手に想像した私は、これを今回の旅におけるキーにすることにした。

自分のルーツ探しのために始めた「始まりへの旅」。今回は母の記憶を辿る旅だった。といっても回顧に浸って現実逃避するためじゃない。前に進みながら、ここぞという一歩で諦めないためだ。ひとりで生きてるんじゃない。血筋という家族の記憶を知ること。ときには途絶えるものもあるかもしれないが、たすきは引き継がれる。周りの人々がいて、初めて自分がある。

2泊3日の盆を会津田島で過ごしたのち、帰宅すると、今度は父方の祖母から電話があった。「あんた、今日来た? 誰かが玄関をノックしたの」——ああ、じいちゃんおかえりなさい。その足で祖母のところを訪れ、線香を上げた。東京の盆は1ヵ月前だが、マイペースな祖父のことだ、ありえなくはない。祖父の固くシワが刻まれた大きな手に触れたときのことを思い出した。

目を閉じて、記憶に意識を集める。一人ひとりの声と動く姿がありありと浮き上がる。見えないところに始まりがある。そこから再び旅立つ。

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