濱田祐史は少女に問われ、目に見えない光芒から天地創造の景色を暴露させる。


私たちの景色。風景でも街でも町でも都会でもなく、景色。その木々のスキマから、柵のスキマから、はたまた公園の遊具のスキマから、光の道筋が一線となって伸びている。それも、放射線状にいくつも。なにも写らないが、なにかが写っているような。写らないものがおぼろげに、写真に立ち篭もる。

写真家、濱田祐史さんにとって初となる作品集『photograph』は、いわゆる「光芒」(こうぼう)を題材にしたものだ。たとえば冬の早朝、高くそびえる山の上では朝霧に包まれ、雲から大地に向かって放射線状の光がもれることがある。そんな神秘的な光景を、もっと身近な風景に見出そうという試み。それが濱田さんの『photograph』である。そして「光芒が伸びた景色」が本書では、全編にわたって続く。

©Yuji Hamada, Courtesy of the artist and Photo Gallery International

実はこの光芒、濱田さんが作為的に生み出したものだ。霧の代わりに煙を焚き、長時間露光することでその存在を靄(もや)程度にまで深めた。しかしそれは長い時間を露光するから見出せるわけで、まさしく写真のなかでのみ存在する空間だ。撮影時においては濱田さん自身も、どこがどのように作用するか知る由もない。そこで光を探り当てるかのように、濱田さんは写真の画角に入り込み、様々な光を探したという。

この不思議な「見えない光芒探し」。きっかけを、濱田さんはこう語る。

2005年のある日の夕暮れに、私は公園で一人の少女と出会った。その子は手のひらに、熱心に光を当てていた。そして「この光はどうやって、どこから来るの?」と私に質問した。私は、太陽から放射されて長い距離をかけてここまで来ているのだろうと考えた。けれども彼女が求めている答えはそんなことではないように思えて、応えることができなかった。

(濱田さんが本書に寄せた原稿より引用)

 

©Yuji Hamada, Courtesy of the artist and Photo Gallery International
©Yuji Hamada, Courtesy of the artist and Photo Gallery International

「光よあれ」—。天と地を創造した神が初めて口にした言葉。神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

祝福の笑みが、一面にこぼれる。なんてことのない日常の風景が、あらためて景色となる。私たちは、心に描くランドスケープを「景色」という。かつて荒木経惟があらゆるものに景色を追い求めたように、それは得てして「世界」である。

1枚の四角い箱庭として完成される写真。ともすれば、たいへん狭く息苦しい空間だ。それを押し広げるのは、私たちの心である。濱田さんは見えないところに心を感じ、景色を切り取る行為を『photograph』でおこなった。ここで忘れてはならないのは、『photograph』に移し込まれた光芒を見ることが大切なのではなく、その先にある「見えないもの」への心である。

©Yuji Hamada, Courtesy of the artist and Photo Gallery International
©Yuji Hamada, Courtesy of the artist and Photo Gallery International

そのうちに、ヤコブは夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている」

旧約聖書創世記 28章12節

 

光芒への畏怖は『旧約聖書』のみならず、私たち日本人にとっても馴染み深い。

古くは『古事記』を紐解けば、たやすく天照大神(アマテラスオオミカミ)に行き着く。黄泉の国から帰還した伊耶那岐命(イザナギノミコト)は三柱の子を産む。それこそ月読命(ツクヨミノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)、そして天照大神である。このツクヨミとは月であり、アマテラスとは太陽。

岩戸神楽ノ起顕(三代豊国)
『岩戸神楽ノ起顕(三代豊国)』 – Wikipediaより引用

この神話においてスサノオはトリックスターとして大暴れする存在だが、それに怒ったアマテラスは天岩戸(あまのいわど)に隠れてしまう。かくして世界は再び暗闇に覆われ、それに困った神々が天鈿女命(アメノウズメノミコト)に激しい踊りをさせ、それに興味をそそられ岩戸を開いたアマテラスを外に引き出す。

このとき、飛び出たアマテラスを後光が放射線状にえがかれる。このように、光とは尊く、そして畏れ多い超常現象であって、それは人類の何千年の歴史においてまず始めに語られてきた。

だからといって、大自然のなかで雲から差し込む光芒を撮れば、それが伝わるかといったらそれはただの自然写真だ。これは風景としての存在でなく、心で受け止める景色なのだから。写真家が写真家たらしめるのは、眼に見たものから、見えないものを引き出す行為であるのだから。私たちにとって馴染みある街並みに、煌々と照らされた光芒。そこにこそ、見出せるものがある。

彦星の 妻迎え舟 漕ぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは

山上憶良『万葉集』8 1527

©Yuji Hamada, Courtesy of the artist and Photo Gallery International
©Yuji Hamada, Courtesy of the artist and Photo Gallery International

公園で出会った少女は、濱田さんが映し出した景色を見てどう感じるだろうか。人が光に感じるものは悠久の時と文明発展を経てもなにひとつ変わらない。人は言葉を得て社会を築き、科学とテクノロジーをもっていよいよ万物の起源に迫ろうとしている。その一方で、1人の少女の問いひとつにも答えるのが難しくもあるのはなんとも皮肉なものだ。

そんなとき、写真にできることはあるかもしれない。濱田祐史『photograph』に差し込む、写真のうえでのみ見出せる光芒。そこに、幾千年の時を経てなお私たちがまだ感じることのできる、天地創造の景色を見た。■

濱田祐史 写真集『photograph』は〈Lemon Books〉より700部限定で刊行。4種の箱から好きなものを選択できます。お求めは〈flotsam books〉にてどうぞ。

flotsambooks –  濱田祐史『photograph』販売ページ
http://www.flotsambooks.com/SHOP/PH01830.html

【こちらの記事もどうぞ】

デジタル世代のモーゼはDIY突起物で性の大海も真っ二つ
スプツニ子! インタビュー
http://www.tomokosuga.com/articles/sputniko/

東北の森で野ジカを追い、その暗がりに太古日本のクオリアを見出す
【ブックレビュー】田附 勝『kuragari』
http://www.tomokosuga.com/articles/masaru-tatsuki-kuragari/

男は女に景色を見た。それは自分であり、無であり、夢であった。
【ブックレビュー】横田大輔『LINGER』
http://www.tomokosuga.com/articles/book-linger/

未知の惑星…!? 多くの謎に包まれた〝青い炎〟の真相に迫る。
【インタビュー】名越啓介『BLUE FIRE』
http://www.tomokosuga.com/articles/keisuke-nagoshi/