男は女に景色を見た。それは自分であり、無であり、夢であった。


[掲載:2014年7月16日]

横田大輔さんの写真集『LINGER』。裏表紙に書かれた「彽徊」(ていかい)とは、「LINGER」の日本語に当たる言葉だ。モノクロの平面世界において、裸婦と心象風景が交互に織り交ぜられ、「彽徊」よろしく「行きつ戻りつ」する。

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この光景をただ美しいと言い切りにくいのは、あと一歩で美しさの邪魔をする「写真の上のゴミ」の存在。これでもかと言わんばかりの存在感を放つそれらは、カメラのファインダー越しに見た世界に近いものがある。

言い得て妙。実際、カメラを覗いて反射鏡についたゴミやキズ、あるいはやはりファインダーについたゴミが拡大され、その目に突きつけられたときには、いざ現実世界を美しく描かんとする意気込みを損なわせるだけの理由となる。これが写真の現実といえば、まさしく。

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しかし人生とは、暇つぶし。

ここはひとつ、横田さんが仕掛けたワナにかかってみることにしよう。そこから見える別世界というのも一興であるかもしれないから。

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「彽徊」—。かの夏目漱石が提唱した語に「彽徊趣味」がある。生真面目な自然主義文学が盛んだった明治時代において、第三者のようなゆとりある気持ちから面白おかしい小説を書いたほうが良い、と。そういうモノの考え方だ。

ここで漱石の小説『草枕』を挙げたい。

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐かいある世と知った。二十五年にして明暗は表裏ひょうりのごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日こんにちはこう思うている。――喜びの深きときうれいいよいよ深く、たのしみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものがえればも心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足をささえている。背中せなかには重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えばらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。

夏目漱石『草枕』より一部抜粋

これが「彽徊」だ。この世は崇高立派な思想と大義名分で溢れかえる。この世はインターネットの台頭によって、ますます僅かな歪みも否定され、品行方正な国民諸君であることが求められる。非国民たるレッテルは1ミクロンでも他とズレれば貼られてしまう。希望や可能性は情報の渦に巻き込まれ、ここではない彼方へ。

理想と現実を彽徊するうち、しまいに我々は価値判断すらできなくなった。しかし実のところ、右往左往するところに、我々らしさがある。彽徊とは煩悩であり、未練たらしさ。

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『LINGER』彽徊。1つの部屋に見るは、女と男の情交。うだるような湿気、コントラストの失った平面世界。繰り返し行為される、交わり合い—。そこに愛や恋といったパッションは感じられず、ただ別離を受け入れられない、未練たらしい彽徊のみ。

写真のほうはというと、煩わしいゴミでもって我々の関心を突き放す。そことここがまるで異なる次元であるかのように、二次元と三次元の違いをこれでもかと見せつける。横田さんの世界は、紛れもない写真である。

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恋する女と向き合い、いよいよ互いに肉体をさらけ出し、交わり合う。初夜が最高潮だとすれば、悲しいかな、数を重ねれば、情熱は薄れていく。

男というものは、性行為のとき、ふと冷静になるものらしい。狩りの時代の習性がまだ残っていて、それは敵の不意な奇襲に備えるためだそうだ。ようは男に愛などという言葉を口に出す資格はないということである。

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住みにくき世から、住みにくきわずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、である。あるは音楽と彫刻である。こまかにえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌もく。

夏目漱石『草枕』より一部抜粋

ますます住みにくい世から、住みにくい煩いを引き抜いて、 ありがたい世界を目に見た通り写すのが、写真である、か。ただまのあたりに見れば、そこに画も生き、写真もく。

横田さんの写真において、人は景色である。『草枕』の主人公もまた、旅先で出会う人々を自然の点景に見立てた。奇しくもこの2人は同じ30歳。俗世間から逃避して非人情の旅に遊ぶ2人が見た先の世界には、やはり1人の女がいた。

非人情とは、義理人情の世界から超越し、それに煩わされないこと。情報化社会、管理システムの整いきった現代において、実に皮肉めいたリアルであり、この我々にとってこそ第1に熟考すべき課題である。そこにもはや女の姿なく、あるのは自分。そしてその自分とは無であり、夢。

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横田さんの『LINGER』を眼前にかまえたとき、ふと「写真よさようなら」と聞こえた気がした。その瞬間、丸顔丸眼鏡の男が妻と辿った旅を想起した。それは「センチメンタルな旅」と言った。

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