戦場写真家が日常に見出した生命の狂気


9月1日、16時30分。丸の内線経由で東京駅に降り立つ。降りしきる雨とここ数日の寒冷が、早くも秋の到来を予感させる。この日、私はある男と丸ビル5階で落ち合う約束をしていた。

地下の直結通路から丸ビルのエレベーターに乗り込む。約束の時刻より、まだ30分は早い。しかし5階まで上がりきった16時36分、ケータイにメッセージが。「荷物がたくさんあるので中央のテラスにいますね」。すぐさま吹き抜けのテラスへ。その先に、大きく手を振る男の姿。亀山 亮さんだ——。

アフリカの紛争地帯を7年にわたって写した『AFRIKA WAR JOURNAL』刊行から2年。写真家、亀山 亮さんが新たな個展を開催する。この展示内容について話を聞かせてもらうため、わざわざ東京駅まで来てもらった。涼しげな演出がされたテラスに辿り着くとすぐに、亀山さんは謙遜に近いことばをいくつか続けたが、それに反して屈強な見た目の身体がずっしりとした独特の気概を臭わせた。

亀山さんの荷物が多いことも考慮し、周囲の店にも入らず、このままテラスで落ち着くことに。 たしかにずいぶん重装備の様子。剣道の竹刀袋も持っていたりと、なにやら異様な出で立ちだ。

「なんだかすごい量の荷物ですね」と尋ねると、「金沢いったあと、沖縄でワークショップに出て欲しいって頼まれて。せっかくだから、あっちの仲間と会って、そのあと魚突きしようと思ってさ。それでこの荷物なの」との返答。さきの竹刀袋には銛(もり)が収まっているらしい。

この数分前、亀山さんは東京に着いたばかりだった。金沢のギャラリー「SLANT」で9月6日から始まる個展のため、八丈島から飛行機でやってきたのだ。このあと、千葉にある実家に寄り、そのまま今晩には金沢へ向かうという。そのわずかな隙間を縫って、会う時間を作ってくれた。

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亀山 亮『Day of Storm』図録表紙

『Day of Storm』——〝嵐の日〟と題された今作。1冊目の舞台となった〝アフリカ=紛争地〟とは打って変わって、亀山さんの暮らす八丈島が舞台だ。展覧会に合わせ、この展示会場でもある金沢のギャラリー「SLANT」から図録が刊行された。

亀山さんはこの7年間、八丈島で暮らしている。八丈島は、東京都から南方に続く伊豆諸島のひとつ。行政区分は東京都八丈町となる。つまり東京の島だ。気象庁によれば、火山活動度ランクCの活火山。空路か海路で渡り、特産品はくさや、焼酎、黄八丈などなど。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

 「17歳の時、初めて(八丈)島まで遊びに行ってさ。そのとき、当時26歳くらいの男の人と島で仲良くなって……」。亀山さんが、八丈島に関わるようになったきっかけを話してくれた。

「17っていったら思春期じゃん? 社会の中で、うまくやれてなかった。その彼も、ドロップアウトして島に住み始めた人。それで、年は違ったけど意気投合して。彼はその2年後に死んでしまうのだけど、それまでは彼に会いに、ちょくちょく島を訪れるようになったんだよね」

1人の男との出会いから身近な存在になっていった島は、のちに亀山さんのパートナーとなる女性の故郷でもあった。偶然が偶然を呼び、やがて亀山さんは八丈島で暮らすことを決意する。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

「戦争のときは、撮るぞ!って意気込みでいくけど、(島での)私的なことの場合、撮っても撮らなくてもいいや、って感じで。撮らないときもあったし、人に見せたいとかでもなかった。ただなんか、ふとした瞬間にカメラを持っていて、ああ、いい感じとか。たぶん、それはカメラマン独特のものだと思うよね」

実際、今作『Day of Storm』は、亀山さんの眼に映った情景の数々である。

前半は、八丈島末吉地区で毎年8月15日に開催される盆踊りでの高速マイムマイム〟。なんともキャッチーな名だが、これはいわゆるマイムマイムを少しずつスピードアップさせ、しまいには身体も追いつかないほどのリズムに達するという、なんとも意味不明な新型ダンス。詳しくは分からないが、つい数年前、この島で独自の発展を遂げたらしい。

後半では一転し、亀山さんが〝いい感じ〟に触れてきた瞬間のスナップが断片的に編まれる。牛の目、無数のカモメ、生まれたばかりの赤ん坊、焚き火、袋をかぶった男、時に髪を逆立て、時にうつぶせる狂気じみた女性……。どれも日常のワンシーンを切り取ったものなのだろうが、意図的な編集もあって、どこか不吉さが宿っている。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

とは言え、極私的なスナップショットがつづくわけだから、解釈するうえでなにか頼るものが欲しい。そこで役立つのが、写真のひとつひとつに添えられたキャプションだ。たとえば八丈島の盆踊り。次第にテンポ早くなっていくリズムに合わせて踊り狂う人々が、これでもかと映し出される。

そのキャプションには「2日間、老若男女が櫓(やぐら)を中心に踊り回る」「子どもたちもノリノリ」「昼間、建てつけた櫓が倒れないか心配だ」などとある。夏祭りに夢中になる人々の様子は、喜びやおかしさを突き抜け、どこかルナティックに映る。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

読み込んでいくと、或る2枚の写真に添えられたキャプションに目が留まった。

幾人かの女子たちがマイムマイムの輪になりながら、黄色い声を上げている1枚には『「ハレ」の日』というキャプションが。また、その数枚あとには2人の男が腕相撲をとる1枚があり、そこには『「ケ」の日々』とある。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

「ハレ」と「ケ」。「ハレ」とは「晴れ」であり、儀礼や祭りといった「非日常」を表す。「ハレの日」は日常から一転して、衣服は「晴れ着」、食事は「モチや赤飯」、空間は「晴れ舞台」となる。対して「ケ」とは「褻」であり、「日常」を表す。「ハレ」と「ケ」では、言葉遣いや立ち振る舞いにも区別がある。

また「ケ」の日々が続けば〝気が枯れ〟る。これが「ケガレ」だ。ときおり「ハレ」(非日常)が挟まることによって「ケガレ」(気枯れ)は清められ、再び「ケ」(日常)の日々に戻るだけの精力がつく——。近ごろではつい忘れがちな感覚だが、それでも今なお我々の生活に根づいた伝統的なものである。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

この「ハレ」と「ケ」を頼りに、亀山さんが綴る「嵐の日」を振り返ろう。

前半に展開される「盆踊り」は明らかに「ハレ」だ。普段見せることのない感情をことごとく放出させるかのように、誰もが高揚しながら踊り狂っている(そしてそれは〝高速マイムマイム〟によって印象的に描かれる)。対して後半のスナップは総じて大人しく、日常の淡々としたリズムが目にとれる。言い換えれば前者は夜であり、後者は昼である。

その合間に挟まれるのは、「ハレ」と「ケ」のどちらにも属さない2枚の写真。1枚には、山を背景にした空き地に舞う、ふたつのゴミ袋が映し出され、そのキャプションは「身辺整理したものをゴミ捨て場に投げ捨てた彼は、数日後自ら命を絶った」。もう1枚は大きくブレた暗がりの山道。キャプションは「車で山道を猛スピードで駆け抜ける」——。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

この印象的な2枚は、もしかすると「ケガレ」と言えるかもしれない。

ケガレ、気枯れ、穢れ。それは日常生活でも蓄積されていくが、死や病によって決定的なものとなる。友人の死によって「ケガレ」を抱えた亀山さんが、ほとばしる感情に身を任せ、暴走する。

友の死の未練を乗り越える——。そうして見ると、二枚目のブレた木漏れ日は〝振りまかれた「清めの塩」〟のようにも見えるし、一枚目のゴミを投げ捨てるさまは〝塩を振りまく〟ようにも見える。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

そこまで話すと、亀山さんが応答してくれた。「(これまで自分が被写体にしてきた)戦争の究極は〝死〟でしょ? 僕は死に興味がある。僕の友達は、島で死んだ。僕の父も、会社でのストレスが原因で、僕が25くらいの時に自殺してしまった。日本は自殺する人が多い。年間3万人が自殺している。その手ざわりのない実感とか、実体のない感覚に、僕は違和感がある」

「僕の連れが、精神障害の施設で働いていてね。精神障害という括りもおかしい感じだけど、彼らとよく付き合うようになって思ったのが、自分がそれまで撮り続けていたアフリカのPTSDを抱える人たちの姿と変わらないってことだった。社会に適合する、しない。それは社会が決めていること。そういうのも含めて、分かる人には分かるけど、分からない人には分からないっていう写真の良さに委ねることにしたんだよ」

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

亀山さんが続ける。「僕は死に興味がある。いくら金持ちでも、死んだら終わり。たまたま僕がやってきたことが戦争だったこともあって、常に現場が死に近かったこともあって、死について色々考える。たまたま僕の周りも、途中で死んでしまう人たちもいた。人間の狂気、戦争の狂気。〝普通〟と〝普通じゃない〟の違いもよく分からない。そういうことを等しく出してみたかった」

亀山亮、『Day of Storm』。これは〝戦場写真家による私写真〟のようでいて、そうではなさそうだ。戦争を駆け巡り、向き合ってきた死への尽きない問い。これが『Day of Storm』においても繰り返されるという点において、亀山さんにとってはこれもまた戦場写真なのかもしれない。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

命を枯らすまで自己存在の理由が問われる現代日本。右へ倣えのムラ社会は今なお国家において健在であり、単一民族の我々がそのなかにおいて生存と繁栄を継続するためには、ケとハレの循環、そのなかにおけるケガレの浄化作用が不可欠だ。それは列島を離れた島においても同じこと。そればかりか、島においてこそむしろ健在であることを、亀山さんは問いかける。

Day of Storm、嵐の日——。亀山さんが写真の先に見つめるものはアフリカでも八丈島でも変わらなかった。生と死の境における、命のふとした気まぐれさ。命のテンションは時に、ふとしたことがきっかけとなって緩み、そして時には途切れる。その弾ける瞬間に対する、正直な疑問。

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亀山亮 写真集『Day of Storm』より © 亀山亮

〝ハレ〟であり〝夜中〟の高速マイムマイムからは生命の狂気的な瑞々しさがこれでもかと劇的に映し出され、しかし〝ケ〟であり〝昼〟の八丈島では一転して、狂気的な死の香りが漂う。理屈や思考を超えた、コントロール不可能な生命のもどかしさ。

これから先、この男は冷たくも優しい眼でそれらを見つめ続けていくのだろう。たしかにそれこそ、写真でこそ映し出せる〝見えないなにか〟であり、写真家が見つめる写真の先にあるもののひとつ。そしてそれは、写真行為にこそ成し得る問題提起でもあるに違いない。

——クアアイナで買ったビールも手伝って、たがいに緊張もとけ、与太話になったところで取材終了。膨大すぎる荷物をふたたび背負った亀山さんは沖縄での釣りをただただ楽しみにしているらしく、竹刀袋に入った銛を強く握りしめ、「がんばってね!」と言い残し、すばやく去って行った。■


亀山 亮さんの個展『Day of Storm』が本日、9月6日(土)より金沢のギャラリー「SLANT」にて開催。本日19時より亀山さんによるトークショーも。また同日より富山県にて写真家・田附勝さんとの2人展『亀山の眼 田附の眼』も開催しています。

 

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亀山亮 写真展「DAY OF STORM」

2014年09月06日(土)ー 2014年09月28日(日)
会場:SLAN / 入場無料
http://www.slant.jp/

亀山 亮トークショー
『戦場カメラマンが見た パレスチナ、アフリカ』

日時:2014年9月6日(土)
18:30開場 19:00開演(約1時間)
会場:金沢21世紀美術館地下「シアター21」
石川県金沢市広坂1-2-1
入場料:500円
WEBSITE

 

60549田附勝・亀山亮二人展
「亀山の眼 田附の眼
みえるものとみえないものとの境界」

2014年09月06日(土) – 2014年11月09日(日)
ミュゼふくおかカメラ館
〒 939-0117 富山県 高岡市 福岡町福岡新559番地
TEL: 0766-64-0550
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